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2016 Rio OLYMPIC GAMES 2016.8.9-19

リオデジャネイロオリンピック報告


日本選手の成績

         ● 470級男子:土居 一斗・今村 公彦(アビームコンサルティング・JR九州)17位

         ●470級女子:吉田 愛・吉岡 美帆(ベネッセホールディングス)5位

         ●49er級男子:牧野 幸雄・高橋 賢次(トヨタ自動車東日本)18位

         ●49erFX級女子:宮川 惠子・髙野 芹奈(和歌山SC・関西大学)20位

         ●RS:X級男子:富澤 慎(トヨタ自動車東日本)15位

         ●RS:X級女子:伊勢田 愛(福井県体育協会)20位

         ●レーザーラジアル級女子:土居 愛実(慶応義塾大)20位


総 括

 日本の最高順位は470級女子の5位で、それに次ぐのはRS:X級男子の15位だった。出場艇数の50%以内に入ったのはこの2種目のみで、目標の2種目でメダル、2種目で入賞には程遠い結果だった。大会は、種目により規定された10又は12レースが強風から軽風までのコンディションの中でしっかりと実施され、ほとんどの選手にとって実力通り、それはほぼイコール、世界ランキング通りの結果となった。世界ランキング5位の470級女子吉田・吉岡組は、最後までメダルを争って惜しくも逃したもので、残念ではあったが、それなりの結果を出すことができたと言える。吉田組は惨敗となった前2回のオリンピックの反省を生かし、リオに照準を合わせて自分のペースに合ったプランをしっかりと建てそれを実践し、本番に臨んだことが奏功したと言える。RS:X級男子の富澤選手も、過去2回の経験を踏まえ、リオに対しては微風軽風に照準を合わせて減量するなどの対応をしたが、必ずしも想定通りとはならずメダルレースには届かなかった。レーザー・ラジアル級級の土居愛実選手は、世界ランキング9位に対して20位と実力を出し切れなかったが、この種目で日本選手の水準がここまで上がったのは画期的なことであり、東京も狙う同選手の活躍には期待していきたい。470級男子土居・今村組は、海外有力チームとの練習を重ねるなど、良い環境の中でトレーニングをしてきたが、激戦区のこの種目にあっては、もう1歩2歩抜け出ないとメダルには届かないという厳しさを味わった。その他の種目については、世界の上位水準には実力的に届いていない状態で、今回のリオ出場を東京に繋げる、という位置づけであった。
 チーム全体としては、斉藤愛子チームリーダーが毎日のチームリーダースミーティングに出席しチームの要の役割を果たした。それだけでなく、ロジから気象、現地準備、JOC対応、マスコミ対応などあらゆるマネジメントをこなし、最初から最後までチーム全体をコントロールした。競技会場の近くに借りたアパートでは、栄養士の武田さんが作る料理を全員が食べて、長期滞在でもコンディションを維持することができた。吉田・吉岡組がメダルレースに進出したことにより、会長はじめ日本人関係者全員でビーチから日の丸を振って応援することができ、チーム一体感を伴って盛り上がったのが、今大会のハイライトであった。
 メダルは、10種目30個を17ヶ国で分け合った。最多獲得はオーストラリアとニュージーランドの4個である。(別紙参照)アジア勢のメダルは中国のRSX女子の2位のみで、吉田・吉岡組はアジアではこれに次ぐ成績だった。世界の最高峰を実感すると、日本がメダルを取るのは至難の業のように思えなくもないが、私たちは日本人の優秀さを信じて、必ず次のメダリストは現れる、必ずメダルを獲得するという信念を持ってトップ選手を育成していかなければならない。
 以下、ロンドン以降の取り組み、選手選考の経緯、各種目の詳細報告等。


1. ロンドン後の重点強化策

 ロンドン・オリンピック終了後の新体制では、メダル獲得と全種目の参加と入賞を目標に、基本方針として、長期目標を基に競争志向、結果指向、選択と集中、少数精鋭主義により心・体・技にわたる強化への取り組みを行うこととした。また、特にユース世代から強化プログラムを実施することを重視し、各種施策を実施した。
 2012年後半から2013年は次を狙う選手達のチーム作りを始めたが、東京・オリンピックが決まり、リオだけでなく東京も視野に入れての選手の発掘、育成が課題となった。
 海外のコーチングを取り入れることについては、各種目で異なる取組みを計画した。種目によって年齢層も経済的負担もロジ内容も異なることから、全体で同じ取組みをするのは無理があり、個々に必要な訓練内容に取り組んだ。

①スポンサーチームとの合同練習
 海外のコーチングを取り入れていくことを目的に、2013年より470男子の土居・今村組(アビームチーム)はアビーム社がスポンサーをするオーストラリア男子と練習の場を構築することを始めた。また松永・吉田組(スリーボンド)はニュージーランドチームと契約をかわした。2015年に入ってからになるが、市野・長谷川組はイタリア・クロアチアの合同練習に参加するようになり、それぞれのチームがそれぞれの練習相手であるトップレベルの海外選手との練習量を増やした。

パース・プロジェクト
 レーザー級とラジアル級は、支援企業の協力により「パース・プロジェクト」を立ち上げ、西オーストラリアのパースにおいてアーサー・ブレット・コーチの元、高校からの留学生、短期遠征組とが年に数回の合宿とオーストラリアの大会参加を目的に活動を始めた。強風の多いパースでホームステイをしながら自立心を養い、英語も覚え、体力増強、強風での技術を習得することを目標にした。このプロジェクトをへて、ラジアル女子の土居愛実が成果をあげた。

③トライアルからのチーム作り
 女子ダブルハンドの470女子、49erFX級は選手の発掘から始めた。2012年12月、女子選手を集めて和歌山ナショナルトレーニングセンターにてトライアルを行い、そこでの出会いをきっかけに470女子の吉田・吉岡組とFXの波多江・大熊組がスタートした。

④海外コーチの招聘合宿
 ウインドサーフィンのRS:X級は海外コーチの招聘と香港への遠征を増やして技術アップをはかった。

⑤水域合宿
 東京が視野に入り、リオを狙う選手だけでなく、次世代、ユース、水域での活動まで手を広げた。東日本、中日本、西日本と担当をおき、担当コーチが中心となって各地での練習会を行った。

⑥スキフ・プロジェクト
 次世代合宿には、2014年から29er、49erとFXに乗る若い選手の発掘と育成を「スキフ・プロジェクト」として和歌山で始めた。シドニー五輪の金メダリストクルーであったユルキー・ジャービ・コーチ(フィンランド)を招聘しての取組みで、基本動作、基本の走りから始まった。

⑦気象データ収集
 2015年に入ってからの取組となり、各企業チームが個々に購入した風速計をコーチボートに設置し、リオデジャネイロのデータをとった。ノースセールの鹿取さんに機器の構築、JISSの萩原さんにデータ整理をお願いした。(資料参照)時間もマンパワーも足りない中で、エリアごとの資料をまとめ、Handbook(マルチサポート)を利用してチーム内で情報を共有した。
 気象情報については、2016年になってからWeathernewsの気象チームから現地予報を出してもらった(添付参照)。東京2020の江の島でのサポートが目的であり、そのためにはリオからスタートしてしくみを考えていくことが必要だと判断した。Weathernewsは他競技のサポートも含めてリオの現地へ入り、レース海面が見渡せる近くのビルに了承を得たうえで固定カメラを設置した。本番の予報は精度もあがり、今回の貴重な経験を元に2020年へ向けてのサポート方法をスタートさせたい。選手とコーチがこういった気象情報をレース展開に活用できるようにすることが、東京でのホームアドバンテージにつながる。

 これら多くのことを少ない数のコーチ陣で運営した。プロジェクトとしては形になったが、直接オリンピックメダルへつながる強化策としては十分な時間がかけられず、次世代が中心の活動が多くなっていた。東京へ向けては、ユースクラスの420級と470級ジュニア世界選手権大会でワールドチャンピオンが誕生するなど良い成果もあったが、トップアスリートの強化は個々のチームまかせになり、ナショナルコーチ達はチームのニーズに合わせて帯同する形式となった。


2. 選手選考の経過と大会対策

 セーリング競技の国枠予選は2014年、2015年の世界選手権、2016年アジア選手権の3大会での枠とりとなる。結果、2014年に枠をとった470級男女とRS:X級男子は2015年の選考大会において代表選出とした。2014年に枠がとれなかった種目については、該当する大会で枠を獲得した選手を代表に選出とした。

①代表選考
 RS:X級男子は2015年1月のSWC(セーリングワールドカップ)マイアミ大会、4月のプリンセスソフィア杯の2大会を選考とした。富澤が突出した強さをもっていたので、代表に早く決めて、本番までの時間をレベルアップに使えるように考えたタイムラインでの選考のタイミングであった。
470級男女は4月のプリンセスソフィア杯と7月の470級欧州選手権の2大会が選考大会となった。大会の順位を得点に置き換えて2大会の合計点で決定をした。470男子は土居・今村組と松永・吉田組が僅差で争い、土居組が逆転して代表に決まった。女子は吉田・吉岡組が順当に代表となった。 
 2014年に枠がとれなかった種目は、2015年世界選手権で、RS:X級女子の伊勢田、ラジアル級女子の土居が枠を獲得して代表選手に決定した。特に土居は100艇のエントリーがあった世界選手権で8位入賞し、本番でも入賞が狙えるところまでレベルがあがってきた。
 49er級男子とFX級女子、レーザー級男子は世界選手権で枠がとれなかったため、2016年3月のアジア選手権にアジア枠をかけて戦うことになった。49er男子とFXはアジア内では敵がいなかったので、日本選手同士での優勝争いになったが、レーザー級男子は最後まで2枠を複数の国で争う厳しい戦いとなり、僅差で枠に届かなかった。レーザーはロンドンに続き、2大会連続で参加枠がとれなかった。
 FX級女子は宮川・髙野組が軽風の最終レースを制して代表に決まった。小柄な宮川であるが、リオの8月は比較的弱めの風が多いと考えられていたので、条件がうまくはまれば活躍できる可能性があると期待できた。49er男子は3度目のオリンピックとなったベテランの牧野・高橋組が減量の成果を発揮して順当に勝ち残った。
 Nacra17は後藤・田畑組が枠をとれず、フィンはチャレンジする選手がいなかった。

②現地対策
 2013年2月にRS:X級世界選手権がリオから200km離れたBuziosで開催され、その際にリオに立ち寄り、1回目の準備調査を行った。東京から航空便での移動に24時間かかり、艇をコンテナで輸送すると2か月以上時間がかかる。ロジスティクスと移動をよく考えて、計画を作成することにつとめた。
 現地へ艇を輸送しての練習は2014年8月のテストイベントから始めた。リオの8月は冬になるが、日中は南からの風が卓越するため、8月だけでなく、年間をとおしての練習が可能であった。遠征も7月8月に限らず、12月のブラジル選手権や3月の大会等、艇を置きっぱなしにして現地練習の時間を増やすことにした。2014年7月~8月、12月、2015年も7月~8月、12月、そして2016年は3月、5月、6月、7月とした。
 レース海面はグアナバラ湾の内側に3から4、外に2から3を設定し、どの種目も中と外とエリアを使うことになるため、チーム全体で情報を共有して構築していく準備をした。2014年のテストイベントでは黒い水と青い水が入れ替わるのを見て潮の満ち干を観察したし、潮目に集まるごみはプラスチックバッグ、木片、机やテーブルといったように巨大なごみが列になって押し寄せてきていたので特別な注意が必要であった。黒い水の水質も騒ぎになり、湿疹ができる選手が多数でた。湾の外に出てコパカバーナ沖になるとブラジル海流の反流もあるため水は青く綺麗だったが、黒い水との境目のごみは湾の外まで押し出され、その後、沖で拡散していった。セーリングは最後までこの問題が尾をひいたがリオ2016はこの事態にしっかり取り組み、本番までにごみは減り、水質も向上した。
 治安の悪さにも苦労したが、暗くなったら一人で出歩かない、必要最低限のキャッシュしか持たない、地元の人に見えるような恰好をする、などと襲われない工夫を重ねた。タクシーを利用するようにしたが、クレジットカードで支払をしてスキミング被害にあったり、目的地へ遠回りに連れまわされたり、被害にあうこともあった。セーリング会場のグローリア地区はギャング抗争のあった病院があり、ファベイラからの子供ギャングが物取りに徘徊する地区ということで特に注意が必要だった。セーリング競技全体では年に50日以上、リオで練習をしてきたこともあり、被害にあった選手も少なくない。本番へ向けて、選手が安全にストレスなく滞在できる場所の確保につとめた。


3. 現地でのコンディショニング

 練習基地はブラジルセーリング連盟の手助けもあり、Escola Navalという海軍学校の敷地にコンテナを保管することができた。また、練習会場は本番のマリーナになるMarina da Gloriaをメインに使い、Marina da Gloriaが閉鎖する期間はICRJ(リオデジャネイロヨットクラブ)を利用した。2014年12月には対岸のNiteroiにあるSan Francisco Yacht Clubも利用してみたが、リオ側のほうがよいという選手の意見を取り入れ、Gloria地区での滞在で準備を進めた。
 移動手段はTaxiとVanを予約して対応した。宿舎からMarina da Gloriaは徒歩の距離なので、他への移動はTaxiで、国際空港との送迎は荷物が多いことと、セールや分解したマスト、ウインドサーフィンの道具など長物があるため、Vanのトランスポートを手配した。3年間、同じ会社にお願いをし、安全に移動ができた。早朝や深夜に空港へいく便が多かったので、トランスポートの段取りは岩井さんが担当してくれ、ポルトガル語や空港での誘導も確実に移動ができて助かった。
 宿舎は選手村からだと片道1時間以上バスで移動となる。ハーバーから徒歩のGloria地区に慣れてしまったので、その条件で本番の滞在先も準備することにした。Golden Park Hotelが基本で、その周辺にアパートを数軒確保し、選手やスタッフが長期滞在になっても、できるだけ個室で過ごせるように工夫した。アパートがあると洗濯機もあり、自炊もできるので食事での苦労が減った。Golden Park Hotelは古い、小さなホテルで、部屋は冷房の音がうるさいのだが、周辺ホテル(ウィンザーフロリダ等)は1部屋の料金が高く、シングルで入るのは無理がある。2-3名で1部屋をシェアするよりも、選手は、部屋は古くていいが、一人になりたいという希望が多かったので、Golden Parkを利用することにした。アパートはGolden Parkに近い場所で合計4軒を確保し、そのうちの1室で栄養サポートの夕食を提供するようにした。
 リオでは体調を崩す選手が出なかった理由のひとつとして、食事の提供があげられる。日本からサポートしてもらっている佐渡米を手分けして持参し、現地での食材の買い付けも数度の遠征を繰り返して栄養サポートのしくみを構築した。管理栄養士の武田さんが食の責任者で、岩井さんのサポートで現地での物資調達を効率よくすることができた。大量に買うものは配達をお願いしてもらったり、日本食材の店、マーケットでの値段交渉、必要なものの調達場所の情報収集など、数回のトライアルの末に本番を迎えたので、まったく問題なく運営することができた。多い日には27名の夕食を用意し、そんなに広くないダイニングテーブルでも、食べるペースが自然とできて、入れ替わりで選手やコーチが食事をしていくことが可能となった。
 ケアについては、個々のチームがトレーナー帯同をする計画があったので、TMEJとベネッセには、非常時は所属チーム以外の選手もお願いをするということにさせてもらった。しかしながら、実際には所属チーム以外の選手がお世話になることが多く、今後については、十分に各選手と協議して体制を作るべきである。
 医療については、選手村のJOCドクターで対応することを考えた。また、現地ドクターで日本語が通じる場所を紹介してもらっていたので、最悪の事態はそれで対応するつもりでいた。実際には足を痛めた2名の選手が大会バスにのって選手村へ行き、整形外科の治療を受けた。土居愛実が歯の痛みをうったえてきた時は選手村のポリクリニックに歯科があると聞いていたが、治療を受けるまでにはいたらなかった。
 セーリング競技が開催されたFlamengoビーチには日本領事館と三井物産が入った高層ビルがあり、2014年にリオを訪れた時から連絡をとってお世話になってきた。入国ビザの問題や治安の注意、盗難や病院のアドバイスは領事館だけでなく、現地滞在の長い三井物産のメンバーにも話を聞いた。支店長がヨット部OBということで、多大なる応援をいただき、心強かった。現地の正しい情報をいただけたことから、過剰な防衛策によるストレスをかけずにすんだし、選手、コーチが自然と用心をしていて、複数で移動するように声をかけあって、よかったと思う。


4. 各種目の試合経過と戦評

●女子470級 吉田 愛・吉岡 美帆組 5位(参加20か国)
 5位に入賞した。3度目のオリンピック出場になる吉田は過去2回、力がありながらも本番で結果が出せずに終わり、今回はロンドンの反省を踏まえて新ペアの吉岡と挑戦した。前回は大会で使った新艇を十分に準備せずに本番で使ってしまったので、今回は1月に日本で受け取った艇を3月末に日本からリオへ輸送、5月に受け取ってから現地練習で30日以上乗り込んで準備をした。現場でのレース練習も多くこなし、予備艇の用意も合わせて6月末にはすべてを終了していた。また、ロンドンでメダルレース進出を阻まれたプロテストされての失格が苦い経験になっていたため、ルール対策でプロテストの防衛策を練習してきた。中村コーチの指示で、プロテストになったらどう対応するかではなく、プロテストにならない戦術を覚えることと、現場で起こった事実を正確に覚えていることを試合に使えるように繰り返し練習した。
 世界ランク5位で入った本番であるが、イギリスとニュージーランドが突出した強さをもっているだけでなく、2016年世界選手権優勝のフランス、2014年と15年優勝のオーストリア、新勢力でアメリカ、オランダ、スロベニアとともに8位入賞ラインの接戦にいる吉田を確実に入賞させることが第1の目標となっていた。そして、初日をしっかり入ること。
 吉田は大きなミスをせずに初日を終え、しかも総合トップになっていた。ここから毎日、接戦が展開され、二人の緊張度が日に日に高まっていき、途中ミスが増えて前半の貯金を使い果たしてしまった。それでも、予選最終レースでトップフィニッシュをし、8位まで後退した後に5位へ戻したところが今回の吉田・吉岡。メダルレースでがんばれば銀まであがれるし、落としても8位以下には落ちない。最終レースは2位のニュージーランドから8位のブラジルまでが目の色かえて戦った。吉田は2上を5位で回航し、その時点では銅メダル。そこから2下マークまでが大接戦で、終わってみたら7位フィニッシュとなり、総合も5位。届きそうで届かなかった表彰台であった。この日はJOC竹田会長、河野副会長(JSAF会長)、ほかチーム全員がビーチに揃い、日の丸を振って応援した。まるで水泳のファイナルを見ているように、入れ替わる順位に一喜一憂した。
イギリスが金、前回王者のニュージーランドが銀、銅はフランスが獲得した。この差がどこにあったのかと考えても、結論はでない。吉岡の経験が他のチームと比べると少ないこともあるかもしれないし、冷静さを保とうとする吉田が逆に爆発力にかけたのかもしれない。しかし、トップを走っていたアメリカが瞬時にペナルティーを受けて最後尾になってしまったり、展開の速いレースであった。一番勢いのあったフランスが最後の最後で逆転したというのが本当のところだろう。2月のアルゼンチンで接戦を制して世界チャンピオンになった経験が自信になり、最後まであきらめなかったと、フランスは語っていた。
 4年前にはブラジルからの抗議で失格となりメダルレースへ進出できなかった吉田だったが、今回は予選最終レースでスロベニアに抗議をだし、審問も確実にこなすことができた。会場内にルールアドバイザーを配置することができなかったが、場外からの電話とネットで瞬時にサポートをしてもらい、要点を短時間でまとめることができたので、選手が取り組んできたルール対策の成果がだせたと思う。

●男子470級 土居 一斗・今村 公彦組 17位(参加26か国)
 2013年からオーストラリアのベルチャー組(ロンドン金)のトレーニングパートナーとしてスピード練習を重ねた。ベルチャー組のコバレンコ・コーチは470級で金メダルを獲得し続けている名将で、自分の元で信頼のおけるルスラナ・タラン・コーチを土居・今村につけて練習の連携をとる体制をとった。2014年の世界選手権では10位に入り、2015年は有力と目されていた松永・吉田組を僅差で破り日本代表になった。その後、鈴木コーチがチームサポートに加わり、オーストラリアとの練習を継続しながらオリンピック本番への準備をしてきた。
 オーストラリアとの練習は確かに貴重な時間ではあったが、470の経験が16年以上のベルチャー選手と同じ量の練習では、経験年数の少ない土居にとっては十分な練習量を確保しているとは言えなかった。セールテストで新しいタイプのセールを使い始めた時も、トップスピードで走り続けるためにはより繊細なステアリングが要求されるため、土居はそれに見合うだけの技術を身につけなければならず、乗り込む時間を増やすことが必要だった。タラン・コーチとチームは練習量やセールの選択で意見が揃わないところもあったが、徐々に解決をしながら準備を進めた。大会前の準備はいくつかの妥協点を見出しながらも、上位に入るスピード、新艇のチューニングが整い、スタートの失格(BFD)、抗議による失格、マークタッチなどによるペナルティーターンなど、大きなミスがなければ必ずメダルレースに残れると考えていた。
 本番、初日の出だしは本人達が思うよりも良くなかった。オリンピック本番での緊張もあったし、用心深くなりすぎたこともあったかもしれない。この日の成績を引きずり、2日目からは初日を取り返すために良い順位、トップ狙い的な考え方でレースを組み立てることが多くなり、ギャンブル要素が強くなってしまった。タクティクスやマークアプローチでも一発逆転の狙いで位置取りをする場面もでてきた。初日を取り返そうと勝ち急ぎ、結果、実力よりも悪い成績を残すことになってしまった。
 タラン・コーチはオーストラリアのコバレンコ・コーチの元でサイコロジーも訓練されてきていた選手だが、英語でのコミュニケーションは想像以上に伝わりにくかったという。セーリングの技術の話は問題なかったのだが、メンタルな部分は旧ロシア流と日本人とでは同じようにいくはずもなく、選手へのアプローチで迷ってしまった。土居・今村にとっては自分のペースへ戻すことができないまま終わった大会となった。メダルをとったクロアチア、オーストラリア、ギリシャは大会前から本命視されていたチームで、少し抜け出た感をもっていた。僅差の勝負を怖がらずに、どんな環境でもトップスピードを維持できたチームが生き残ったという印象が強い。

●男子49er級 牧野 幸雄・高橋 賢次組 18位(参加20か国)
 牧野が3回目、高橋も2回目というベテランで、10ノットくらいまでのコンディションでは国際大会で上位を走れる力をつけてきた。49erのレースは30分以下と短く、スタートから1マークまでの勝負となる。前半の牧野組はスタートから躊躇なく飛び出して、自信をもって良いサイドへ出していくことができていたので、総合でも10位以内をキープしていた。
 49erはニュージーランドが圧倒的な強さでメダルレース前に金を決めた。49erだけでなく、470女子、フィン、RSX男子もメダルレース前に決定していたが、これら絶対王者達に共通しているのは徹底した基礎動作の完璧さ、レース運びの巧みさ、自分が勝つという自信がある、適正な体格であるという点である。特に49erはウィルコックス・コーチとの連携でリオの気象条件と地形の風に対する影響をしっかり勉強しており、Aプランが失敗したとしても、バックアップのBプランで確実に上位へあがってくるという、スゴ技をもっていた。ウィルコックス・コーチは、飽和状態になっているデータの中から、必要なことだけが残るようにふるいにかけて、選手にはシンプルに説明するように努めたという。49erは特にスタート前からレース展開を考えておかないといけないため、風情報の使い方は重要である。日本選手は風の情報を聞くと見た目よりも頭の中で思いこんでしまいがちで上手に利用できていないが、世界の上位トップレベルは、普通に情報を使ってゲームプランを組み立てている。東京へ向けては日本選手もこのレベルへ引き上げていかなければならない。
 牧野・高橋は3日目に12位へ後退し、予選最終日の3レースで18位へとさらに後退した。最終日にメダルレースに上がれるチャンスがあったため、逆に力が入ってしまい、大きく崩してしまった。苦手な風域ではなかったので、残念な結果である。国内では孤軍奮闘で練習を重ねてきたが、1艇だけでは接戦の練習ができない。海外遠征に出た時は試合が中心で、細かい練習で追い込むことができなかった。怖がらずに集団の中で戦う技術が足りなかったのがトップチームに届かなかった理由であろう。

●女子49erFX級 宮川 惠子・髙野 芹奈組 20位(参加20か国)
 宮川・髙野組は非常に短い期間のオリンピックキャンペーンであった。FX級で2013年から活動を始めていたのが波多江・大熊組であったが、同チームは2014年の世界選手権で国枠が獲得できなかった時点で分裂となり、波多江は板倉、大熊は宮川や深沢、髙野とグループで活動をスタートした。宮川・大熊でイタリアの大会に参加したこともあったが、本格的にチームを決めて出場したのは2015年11月の世界選手権(アルゼンチン)で、宮川・髙野は31位ながら日本チーム最上位であった。アルゼンチンで国枠はとれなかったので2016年3月のアジア選手権(アブダビ)が予選となり、優勝した宮川・髙野組が日本代表となった。宮川は国体SS級で3連覇しており、レースの組み立てや周囲を見る力が日本女子の中では強みになっていた。しかしながら、国際レベルになると、それは強みというよりは、できていて当たり前のレベルになってしまう。また、身長・体重ともにFX級のオリンピック選手の中で最小であり、ハンドリングは楽ではない。チーム結成から短時間での練習では基本動作がトップレベルとは差があり、苦しい大会となってしまった。
FX級はリオから導入された新クラスであり、本命とされていたブラジルが地元の意地で金メダルを獲得した。このチームは2011年のユース世界大会でも優勝しており、スキッパーのグラエルはロンドン大会では女子470級代表を目指して活動をしていた。FX級がオリンピック種目に決まった時からFX級に乗り込み、世界選手権でも優勝している。本命とされ、しかも国中の期待を背負ってのプレッシャーは想像できるものではないが、最終メダルレースの直前でもレース海面が見える場所からエリアの風の入りを確認し、最前線で戦う覚悟をもって挑んでいた。海軍学校に所属することもあり、戦い方の心得をメンタルトレーニングのかわりにしているように見受けられる。最後の最後まで自分達の作戦を変えずにワンチャンスでの逆転にかけたあたりは、見事としかいいようがない。

●男子RS:X級 富澤 慎 15位(参加36か国)
 日本選手団の中で最初に国枠を獲得し、最初にオリンピック代表に決定した。練習環境を整え、体を作る時間と苦手としている風域のスピードアップに時間を費やせるように計画した。2015年はアジア勢との合同練習が多かったが、オマーンでの世界選手権で思ったほどの進歩がなく、練習環境の改善を考えた。2016年の2月からイギリス、ブラジルとの練習に選手単独で参加したことが突破口になり、その後、本番までイギリスと練習を繰り返した。スピードも改善され、コース練習も高いレベルの相手と実施できることで、目標としていたところまで準備ができたと思う。
 本番への入りもマイペースで出だし好調で入れたが、後半戦に入ると顔色が変わってきた周囲にたいしてマイペースが通用しなくなり、コース展開にあせりが出始めた。最終日は3レースを予定していたので、成績をまとめられればメダルレースへ進出する可能性が十分あり、「この日の頑張り」を期待したが、本人いわく、スイッチが入るのが遅すぎたというように、最初の2レースでつなげられず、最終レースで2位をとりながらも、総合15位でメダルレースに残ることができなかった。空回りモードを自分で気づいておらず、追い詰められた最終レースで初めて快心のレースができたという。
 富澤のように決勝に残れる力を持ちながら僅差で届かなったことは、ストレスのかかった状況で集中力を発揮できるようにメンタルトレーニングを重ねることが重要である。周囲が本人の個性を尊重する中でマイペースが効果を発揮してきたが、もう少しプッシュされることにも慣れ、自分との闘いにも勝ってほしかった。
 最初は無理を言ってお願いして入れてもらったイギリスとの練習であったが、後半になるとイギリスから誘ってくるようになり、富澤は確実に1ステップあがることができた。イギリスは本番での集中力にたけたベテラン選手で、3大会連続でメダルを獲得している。ここぞという時の集中力が素晴らしかった。富澤が今回得たことが東京につながることを期待する。

●女子RS:X級 伊勢田 愛 20位(参加26か国) 
 力が均衡していたNT選手の背後から選考大会で好成績を出して代表の座を獲得した。オマーンで開催された2015年世界選手権では21位に入り、リオでもコンディション次第では上位が狙えるレースがあるだろうと想定し、代表に決まってから現地での練習を50日以上行った。香港チームや他の海外選手と現地でコース練習を繰り返し、トップコーチの招聘もして技術的なところも強化した。
 それでも中風域でのボートスピードは克服できない部分が残り、結果、その風域が多かったオリンピック本番では納得のいく走りができずに終わってしまった。RS:X女子の選手は上位と中盤以下の力の差が大きく、特にレースを組み立てる力の差が目立つ。最初から最終日までトップをキープしていたロシアはユースからあがってきたばかりの19歳であったが、ユースのワールドタイトルを獲得しつつも一般のレースに出場し、風域を問わずに走り勝てるスピードと、自分なりのレースパターンをもっての挑戦であった。最後の最後にベテランのフランス、激戦慣れしている中国に逆転を許したが、今後のRS:Xの女王にしばらく君臨するであろう。伊勢田に限らず、日本選手の多くはRSX女子の8.5mサイズのセールでプレーニングし始めるのが他よりも遅く、風速に対する敏感さと視野を広げるように磨くことが必要であろう。

●女子レーザーラジアル級 土居愛実 20位(37か国)
 土居愛実は2015年世界選手権8位、2016年9位と、これまでの一人乗り女子の記録を一気に世界のトップレベルへ引き上げ、日本人でも上位を狙えるという実績を作った。パース・プロジェクトをスタートした当初は男子のレーザー級の選手を育成することが目的であったが、ターゲットエイジにあてはまった土居もパースで練習を重ねるうちにブレット・コーチが専任で指導するようになり、強豪国のトップ選手との人脈を活用して土居はトップセーラーとの練習環境を構築することができ、周囲が驚くほど、力をつけていった。土居の国内での練習は飯島コーチが担当し、本番への準備は2コーチ体制で進んだ。
 ラジアル女子は8月8日の初日からレースが始まった。土居はグアナバラ湾内エリアでの初日を本人が思っていたように戦えず、2日目も歯ぎしりが続き、3日目の湾から外海では20ノットオーバーの強風レースとなり、20位以下に落ち込む結果となった。ラジアル級は供給された艇を使うため、道具の選択の余地はなく、与えられた道具をコントロールロープのアジャストだけで自分に合わせることしかできない。選手の身長、体重、体力がボートスピードに与える影響は大きく、適正範囲がでてくる。前半の風や海のコンディションは土居が世界選手権で上位をとった時とは異なり、苦戦を強いられた。今回のトップ3の平均身長は177cm、体重は69.5kg、トップ10でも身長174㎝、体重68.5kgということで、前半の風速12-14ノットのコンディションでは64kgの土居には苦しく、上位選手にはちょうどいいという状況が多かった。湾内は地形の影響でコース展開が決まることが多く、そういった知識もトップ選手はみな研究を重ねており、誰もがわかっている中でのレースになっていたので、土居には打開策が見いだせず、迷路から抜け出せなくなっていた。
 また、ブレット・コーチは土居が練習で見せる走りが素晴らしいのに、試合になるとコンスタントに安定してそれを出すことができず、アップダウンがでてくることに対してメンタルをしっかりトレーニングすることの重要性を指摘している。周囲にいるコーチや他の選手ではなく、心をコントロールする技術を持つ専門の助言が必要であるという。オーストラリアやイギリスチームは当然、そういった役割をチーム内に配備しているので、参考にすべきである。
 それでも湾外に出てやや風が弱くなった第7レース、第8レースでは2位と1位をとり、この日は波の中でボートを扱うテクニックと土居の得意とする海風の周期変動を確実にとらえていく戦術が発揮された。総合成績で10位以内のメダルレースを目標にしていたので、そこには届かなかったが、本番で実力を出すことの難しさ、怖さをリオで実感した。


5. 総評と反省

 最初に掲げた目標は2種目でメダル、複数種目の入賞であり、実状から最低クリアする目標は1種目の入賞であった。女子470級5位入賞は最低限度の目標達成であり、メダル・入賞なしのロンドンからは1歩だけ前進している。しかし、日本選手団がメダル獲得数を伸ばして活躍する中で、あと一歩でメダルに届かなかった悔しさは大きい。
 女子470級が目標に到達できたのは自分の立ち位置を正確に理解し、現実に抱える問題点をクリアしていったからで、PDCA(計画→実行→評価→改善)のサイクルがしっかりできていた。メダルを狙うチームは、世界選手権でタイトルを狙える実力が必要だし、ワールドカップレベルの大会では優勝経験が必要であろう。勝つことに対しての意識が高く、確実に準備ができてこそ結果がほしい大会で結果が出せるのである。どの種目も世界選手権やランキング上位選手がメダルを獲得していた。吉田・吉岡は惜しかったし、悔しい限りであった。
 世界選手権で結果を出していながら、リオで力を出せなかったのは土居愛実であるが、多くの要素が北京やロンドン・オリンピックの時の吉田と重なるので、土居は吉田からオリンピックへのアプローチを学んでほしい。メダルレースを狙えるポジションにいながら逃した富澤、牧野、高橋について共通するのは、自分中心に追い込んでいくところであり、それがある程度のレベルに行くまではよい部分でもあったが、これから東京へ向けて更にもう一段レベルをあげるには、専門性を持った周囲のサポートの力を取り入れていくことが必要で、特にメンタルを改善するために、サイコロジーのアドバイザーを考えたい。土居、吉田、吉岡も別の意味でメンタルのサポートが必要であり、長い競技期間の中での勝負どころで力を発揮できるように準備したい。
 オリンピック強化として振り返ると、歯車がかみ合わず、歩調がそろわぬまま進んできたリオであり、コーチ間やチーム間でのライバル意識が先行したのがブレーキになった。結局、本番への準備を整え、スタートラインへ全選手を立たせることで精一杯であった。個性豊かな選手やコーチを束ねることは重要であり、次の東京は地元ということも合わせてチームとしての軸がある取組みが必要である。北京、ロンドンと比較すると、リオは非常に難しい場所であり、環境を整えるほうに時間をとられすぎてしまった。しかし、次から次へとトラブルがあっても、「ここはリオだから!」といって受け入れる余裕も持てたし、ラテン気質の爆発力を羨ましく思うところもあった。歩調がそろわなくても、関係ないかと吹き飛ばした次第である。
 選手の能力を正確に把握できずに高い目標を設定していた点は改善が必要であろう。努力が足りないという言葉で片付けず、コーチ達にはしっかり課題を克服するためのPDCA手法を勉強しなおして、正しい評価と改善策をたてて次を始めてほしい。
 女子470級の5位は銅メダルまで4点、6位とは1点、振り返れば激戦の中での5位であった。リオ五輪にはフロックはなく、全クラスが実力通り、本命視されていた選手が表彰台に上がっている。自分達が希望でたて目標と、実状でたてた1種目入賞の目標であるが、東京へ向けては実状の目標値をあげて全種目メダルレースに進出したい。


参考資料

クラス別成績一覧(PDF)

国別成績一覧(PDF)

ロンドンからリオまでのクラス別世界選手権を含む成績一覧(PDF)

レースコンディション一覧(PDF)

リオ五輪出場選手の体格・年齢分布図(PDF)

気象情報のまとめ(PDF)

Weather news予報例1(PDF)

Weather news予報例2(PDF)


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